昭和の高度成長期頃までの日本では、先人や先輩、そして両親・祖父母などの経験者を敬い、教えを請い、行動を見習う事を当然の姿として来ました。従って、教えて頂く指導者には尊敬を込め、「先に生まれた〜先生」と読んできました。
しかし、最近の状況を見ていると、指導者として認められるのは、必ず資格を持つ学校の教育者や、講演会などの名の売れた評論家ばかりで、経験者(歴史の実体
験者であり、身の回りに沢山存在している)は軽んじられているように思えます。(教育者や評論家の全てが役不足という訳ではありません。)
人の集合体である組織でも、大量仕入れや大量生産によるコストダウンの効率化を目指した、企業や銀行の合併による大型化、更には、政治の面でも地方分権が叫ばれながらも、既得権益を持つ中央政府は権力を離さず、責任が不明確になるのが眼を覆わんばかりの状態となっています。
結果、その巨大化した組織をコントロールするだけの器量を持った人物が揃わず、制御不能となっているように見えます。
今から20〜30年前、第2次ベビーブーム期の子育て時期に、赤ん坊が徐々に首が据わり、寝返りをし、這い這いをし、つかまり立ちや高這いという正常な成長過程を経るのが普通なのに、栄養状態が良いのか、這い這いをせず即、高這いをしたり、つかまり立ちする子がいて、赤ん坊の眼線の高さの成長段階を経ない急成長(一足飛びの成長)した子どもは、成人になってから、異常行動を起こすのでは、などと心配されました。
人間の精神的な成長過程でも、社会が徐々に拡大していくような過程(親子関係、祖父母・親族を含む大家族関係、更に隣人関係)を経て、より大きな社会(幼稚園、学校)へと進まなければ、組織をコントロールする立場になるなどは困難となるのではないでしょうか。
e機楽ねっと
一足飛びの成長には歪みが発生2011/09/12 14:10
|
このWebサイトは全国中小企業団体中央会の助成を受けてリニューアルしました。[全国中小企業団体中央会 山形県中小企業団体中央会]